小矶国昭
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小矶国昭 | |
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第41任日本内阁总理大臣 | |
任期 1944年7月22日-1945年4月7日 | |
君主 | 昭和天皇 |
前任 | 東條英機 |
继任 | 鈴木貫太郎 |
第9任朝鮮總督 | |
任期 1942年6月15日-1944年7月24日 | |
前任 | 南次郎 |
继任 | 阿部信行 |
个人资料 | |
出生 | 1880年3月22日 大日本帝国栃木縣宇都宮市 |
逝世 | 1950年11月3日(70歲) 日本東京都豐島區 |
墓地 | 日本山形縣新庄市西山之丘 日本東京青山靈園 |
专业 | 陸軍 |
日語寫法 | |
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日語原文 | 小磯 国昭 |
假名 | こいそ くにあき |
平文式罗马字 | Koiso Kuniaki |
日語舊字體 | 小磯 國昭 |
小矶国昭(1880年3月22日-1950年11月3日),日本帝国时代陆军大将、政治家,第41届內閣總理大臣,二战甲级战犯,在朝鮮總督任內積極镇压朝鲜抗日運動。
曾任陆军省军务局长、陆军次官、第5师团师团长、关东军参谋长等职。
1942年,出任朝鮮總督,在朝鲜推行内鮮一体教育,宣传朝鲜人与日本人同根同族,多次镇压朝鲜人民的抗日活动。
1944年7月22日,在内外交困中,小矶继东条英机之后出任内阁总理大臣,任期内曾一度主张利用繆斌与重庆国民政府谈和。但是外務大臣重光葵、陸軍大臣杉山元、海軍大臣米內光政均對繆斌同蔣中正的聯繫表示懷疑,反對通過繆斌進行談判。小磯則繼續進行交涉,並在4月2日拜謁昭和天皇時向天皇進言留下繆斌進行談判。但天皇對此不感興趣。4月3日,天皇告訴重光葵自己不信任繆斌。結果繆斌毫無成果返回南京,而引起騒動的小磯內閣則宣布總辭職。
1945年4月7日辭職。战後、小矶国昭被远东国际军事法庭判为甲级战犯,判处无期徒刑,1950年在狱中因食道癌病死。1978年10月被靖国神社合祀。
目录
1 家族
2 年譜
3 榮典勳章
4 關連項目
5 外部連結
家族
- 妻・馨子(新潟縣士族牧口義方五女)
- 長男・昭一
- 長女・美智子
年譜
- 1898年(明治31年)12月 - 士官候補生。
- 1899年(明治32年)
- 6月 - 上等兵。
- 8月 - 昇進二等軍曹。
- 11月 - 昇進一等軍曹。
- 12月 - 陸軍士官學校入學。
- 1900年(明治33年)11月 - 昇進曹長。陸軍士官學校畢業(12期)。
- 1901年(明治34年)6月 - 昇進少尉。步兵第30連隊附。
- 1903年(明治36年)11月 - 昇進中尉。
- 1904年(明治37年)3月 - 日俄戰爭參戰(~1905年12月)。
- 1905年(明治38年)6月 - 昇進大尉。
- 1906年(明治39年)3月 - 步兵第30連隊中隊長。
- 1910年(明治43年)
- 11月 - 陸軍大學校畢業(22期)。
- 12月 - 陸軍士官學校教官。
- 1912年(明治45年)9月 - 關東都督府參謀。
- 1914年(大正3年)8月 - 昇進少佐。步兵第2連隊大隊長。
- 1915年(大正4年)
- 6月 - 參謀本部員。
- 8月 - 派遣至內蒙古(~1917年1月)。
- 1918年(大正7年)
- 7月 - 昇進中佐。
- 8月 - 第12師團參謀。
- 1919年(大正8年)4月15日 - 參謀本部兵站班長。
- 1921年(大正10年)7月20日 - 航空本部員。
- 1922年(大正11年)
- 2月8日 - 昇進大佐。
- 6月 - 歐洲出差(~1923年3月)。
- 1923年(大正12年)
- 3月17日 - 陸軍大學校教官。
- 8月6日 - 步兵第51連隊長。
- 1925年(大正14年)5月1日 - 參謀本部編制動員課長。
- 1926年(大正15年)12月1日 - 昇進少將。
- 1927年(昭和2年)7月26日 - 航空本部總務部長。
- 1929年(昭和4年)8月1日 - 陸軍省整備局長。
- 1930年(昭和5年)8月1日 - 陸軍省軍務局長。
- 1931年(昭和6年)8月1日 - 昇進中將。
- 1932年(昭和7年)
- 2月29日 - 陸軍次官。
- 8月8日 - 關東軍參謀長兼特務部長。
- 1934年(昭和9年)3月5日 - 第5師團長。
- 1935年(昭和10年)12月2日 - 朝鮮軍司令官。
- 1937年(昭和12年)7月21日 - 昇進上将。
- 1938年(昭和13年)7月29日 - 編入預備役。
- 1939年(昭和14年)4月7日 - 第15代拓務大臣(~8月30日)。
- 1940年(昭和15年)1月16日 - 第17代拓務大臣(~7月22日)。
- 1941年(昭和16年)7月 - 滿州移住協會理事長。
- 1942年(昭和17年)5月29日 - 第9代朝鮮總督(~1944年7月21日)。
- 1944年(昭和19年)7月22日 - 第41代内閣總理大臣。
- 1945年(昭和20年)4月7日 - 内閣總辭職。
榮典勳章
- 1934年4月5日 - 勲一等瑞寶章。
- 1934年4月29日 - 勳一等旭日大綬章。
- 1934年4月29日 - 功二級金鵄勲章。
關連項目
- 士族
- 日蓮宗
外部連結
小磯国昭 | 近代日本人の肖像(日文)
小磯國昭 内閣 施政方針演説(日文)
小磯内閣総辞職 / クリック 20世紀(日文)
官衔 | ||
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前任: 東條英機 | 日本內閣總理大臣 第41任:1944年-1945年 | 繼任: 鈴木貫太郎 |
前任: 南次郎 | 日本朝鮮總督 第9任:1942年-1944年 | 繼任: 阿部信行 |
前任: 八田嘉明 金光庸夫 | 日本拓務大臣 第15任:1939年 第17任:1940年 | 繼任: 金光庸夫 松岡洋右 |
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