高桥是清
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高桥是清 | |
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第20任日本内阁总理大臣 | |
任期 1921年11月13日-1922年6月12日 | |
君主 | 大正天皇 |
前任 | 原敬 |
继任 | 加藤友三郎 |
个人资料 | |
出生 | (1854-09-19)1854年9月19日 江戶幕府武藏國江戶芝中門前町(今東京都港区芝大門) |
逝世 | 1936年2月26日(1936-02-26)(81歲) 大日本帝国東京府東京市赤坂区 (現:東京都港区赤坂) |
墓地 | 多磨靈園 |
政党 | 立憲政友會 |
签名 |
日語寫法 | |
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日語原文 | 高橋 是清 |
假名 | たかはし これきよ |
平文式罗马字 | Takahashi Korekiyo |
高桥是清(1854年9月19日-1936年2月26日)是第20届日本内阁总理大臣、第7届日本银行总裁。在冈田启介内阁任大藏大臣时,因反对为扩军而增加财政支出而被日本陆军所嫉恨,二二六事件被陆军兵变士兵暗杀。
1941年,東京赤坂的高橋邸,改建為高橋是清翁紀念公園。
目录
1 年譜
2 系譜
3 著作
4 傳記文獻
5 扮演高橋是清的演員
6 關連項目
7 外部連結
年譜
※日期至明治4年均採用舊曆。
嘉永7年(1854年)閏7月27日:出生於江戸芝中門前町(現東京都港區)為幕府繪師川村庄右衛門嫡生子。出生後很快的以仙台藩足輕高橋覺治為監護人作其養子。
元治元年(1864年):在横濱赫本夫人家塾學習。
慶應2年(1866年):任英國人山德的書僮。- 慶應3年(1867年):赴美在奥克兰一面奴隸式的勞動一面讀書。
明治元年(1868年)12月:歸國任森有禮家書生。- 明治2年(1869年)
- 1月:入學大學南校。
- 3月:大學南校教官三等手傳。
- 明治3年(1870年秋頃:辭任教官過著放蕩生活。
- 明治4年(1871年):任唐津藩英語學校耐恒寮教員。
- 明治5年(1872年)秋:辭任耐恒寮教員後上京。很快辭掉驛遞寮翻譯一職。入學開成學校。
- 明治6年(1873年)7月:任文部省督學局十等出仕莫里博士通譯。
- 明治9年(1876年)5月:受僱為官立東京英語學校教員。
- 明治10年(1877年)3月:辭任東京英語學校教員。任翻譯・預備校(共立學校)教師等職。
- 明治11年(1878年)9月:受僱為東京大學預備門英語教員。
- 明治14年(1881年)
- 4月:文部省御用掛轉兼任東京大學預備門教員。
- 5月:轉任農商務省御用掛。
- 明治17年(1884年)
- 7月:任農商務權少書記官。
- 10月:農商務省工務局商標登錄所長。
- 明治18年(1885年)
- 4月:専賣特許所長兼務。
- 11月:為商標登録専賣特許制度視察出差歐美各國。
- 明治20年(1887年)12月:特許局長。
- 明治22年(1889年)
- 3月:兼任東京農林學校長。
- 11月:為秘魯「卡拉瓦庫拉」銀山經營從横濱出發。
- 明治23年(1890年)
- 1月:抵達秘魯卡亞俄港。
- 2月:進行「卡拉瓦庫拉」礦山開坑式。
- 3月:礦山被發現為廢坑。
- 4月:歸國途中。
- 明治25年(1892年)6月:日本銀行建築所事務主任。
- 明治26年(1893年)9月:日銀支配役・西部支店長。
- 明治28年(1895年)8月:横濱正金銀行本店支配人。
- 明治30年(1897年)3月:横濱正金銀行副頭取。
- 明治32年(1899年)2月:任日本銀行副總裁。
- 明治38年(1905年)1月:勅選貴族院議員。
- 明治40年(1907年)9月:依勲功授爵男爵。
- 明治44年(1911年)6月:任日本銀行總裁。
大正2年(1913年)2月:就任大藏大臣。立憲政友會入黨。- 大正3年(1914年)4月:依願免本官。
- 大正7年(1918年)9月:再任大藏大臣。
- 大正9年(1920年)9月:陞爵子爵。
- 大正10年(1921年)11月:就任内閣總理大臣兼大藏大臣 任政友會總裁。
- 大正13年(1924年)
- 3月:辭任貴族院議員。
- 5月:於岩手縣盛岡市原敬舊選舉區當選立候補衆議院議員選舉。
- 大正14年(1925年)4月:就任商工大臣兼農林大臣。辭任政友會總裁。
昭和2年(1927年)4月:再任大藏大臣。- 昭和6年(1931年)12月:再任大藏大臣。
- 昭和7年(1932年)5月:臨時兼任總理大臣,之后于斎藤内閣中留任大蔵大臣。
- 昭和9年(1934年)11月:再任大藏大臣。
- 昭和11年(1936年)2月26日:於赤坂自宅二樓被暗殺、死去。享年82。
系譜
是清────┬是賢─────────┬賢一──┬秀昌──┬秀幸
├是福──福子 ├照 ├禮子 ├昌子
├和喜子 ├豊二 └康秀 └宣子
├是孝 ├艶
└是彰 ├康三
└多恵
著作
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- 『高橋是清、山県有朋経済問題論争』
- (口述記録.高橋是清・山縣有朋、千倉書房、1911年、再刊1936年)
- 『立身の径路』(丸山舎書籍部、1912年)
- 『高橋是清 - 立身の経路』(「人間の記録81」日本図書センター、1999年)、ISBN 978-4820543275
- 『高橋是清 - 立身の経路』(「人間の記録81」日本図書センター、1999年)、ISBN 978-4820543275
- 『処世一家言 半生の体験』(今日の問題社、1936年)
- 『半生の体験 世に処する道』(今日の問題社、1936年)
- 『随想録』(上塚司編、千倉書房、1936年)
- 『高橋是清-随想録』(上塚司編、再版.本の森、1999年)、ISBN 978-4938965150
- 『随想録』(解説井上寿一、中央公論新社[中公クラシックス]、2010年11月)、ISBN 978-4121601216
- 『高橋是清-随想録』(上塚司編、再版.本の森、1999年)、ISBN 978-4938965150
- 『高橋是清自伝』(上塚司編、斗南書院、1936年)
- 『高橋是清自伝』(上塚司編、中央公論新社[中公文庫]上下)
(初版1976年)、上巻 ISBN 978-4122003477.下巻 ISBN 978-4122003613
- 『高橋是清伝』(高橋是清口述・上塚司筆録・矢島裕紀彦現代語訳)
(小学館地球人ライブラリー、1997年)
- 『高橋是清自伝』(上塚司編、中央公論新社[中公文庫]上下)
- 『高橋是清経済論』(上塚司編、千倉書房、1936年)
- 『国策運用の書』(山崎源太郎編、斗南書院、1936年)
- 『高橋是清の日本改造論 ― “デフレ大恐慌” のいま、死中に活路を見い出す』
(山崎源太郎編、矢島裕紀彦・再々編、青春出版社、1998年)、ISBN 978-4413031240
- 『高橋是清の日本改造論 ― “デフレ大恐慌” のいま、死中に活路を見い出す』
- 『是清翁遺訓 日本国民への遺言』(大久保康夫編)
(三笠書房、1936年、小冊子版、1938年/皇文社、1938年)
傳記文獻
大島清 『高橋是清 ― 財政家の数奇な生涯』 中央公論社[中公新書]、1969年、復刊1999年- 北脇洋子 『棺を蓋いて事定まる 高橋是清とその時代』 東洋経済新報社、1999年
松元崇 『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』 中央公論新社、2009年- リチャード・J・スメサースト 『高橋是清 日本のケインズ その生涯と思想』
鎮目雅人・早川大介・大貫摩里訳、東洋経済新報社、2010年
扮演高橋是清的演員
岡讓司 - 電影《高橋是清自傳》(1936年11月19日上映)※青年・壯年期
山本嘉一 - 同上、※老年期
國廣富之 - TBS電視劇《熱嵐》(1979年2月26日播送、3小時電視劇)[1][2]※青年期(在秘魯銀山開發失敗、至進入日銀時)
森繁久彌 - 同上、※壯年期(日銀總裁)後
入江正夫 - NHK大河劇《山河燃燒》(1984年)
西田敏行 - NHK大河劇《坂上之雲》(2009年-2011年)
小田切让 - NHK放送90年電視劇《經世濟民之男》第1部(2015年)
關連項目
维基共享资源中相关的多媒体资源:高桥是清 |
- 明六社
- 高橋内閣
- 二二六事件
- 佐佐木多門
宮澤喜一 - 與高橋同様、總理退任後就任大藏大臣、被叫做「平成高橋是清」。
外部連結
高橋是清翁記念公園(日文)
官衔 | ||
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前任: 原敬 | 日本內閣總理大臣 第20任:1921年-1922年 | 繼任: 加藤友三郎 |
前任: 若槻禮次郎 勝田主計 片岡直溫 井上準之助 藤井真信
| 日本大藏大臣 第16任:1913年-1914年 第21任:1918年-1922年 第28任:1927年 第31任:1931年-1934年 第33任:1934年-1936年 | 繼任: 若槻禮次郎 市來乙彥 三土忠造 藤井真信 町田忠治 |
前任: 橫田千之助 | 日本司法大臣 1925年(臨時兼任) | 繼任: 小川平吉 |
前任: 設立 | 日本商工大臣 第1任:1925年 | 繼任: 野田卯太郎 |
前任: 設立 | 日本農林大臣 第1任:1925年 | 繼任: 岡崎邦輔 |
前任: 前田利定 | 日本農商務大臣 第35任:1924年-1925年 | 繼任: 廢除 |
政党职务 | ||
前任: 原敬 | 立憲政友會總裁 第4任:1925年-1929年 | 繼任: 田中義一 |
其他職務 | ||
前任: 松尾臣善 | 日本銀行總裁 第7任:1911年-1913年 | 繼任: 三島彌太郎 |
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